ゴリ監督とは、ゴリラの愛称を持つ、藤原初男先生です。
藤原先生は、2005年6月に愛知県名古屋市にある東海学園大学の女子ソフトボール部の監督に就任しました。
2004年3月までは、同県の一宮女子高校のソフトボール部の監督として、全国選抜大会3位2回、国体準優勝、インターハイベスト16など、するなど、高校ソフトボール界で活躍していました。
私達は、偶然ですが同時期にお世話になった学園を退職し、それぞれの道を歩き始めました。
また、これも偶然ですが、私が2003年6月に末期の乳がんになり、藤原初男先生は、2004年6月に末期の喉頭がんになりました。
教員としては、彼が先輩ですが、がんでは私が先輩です。ある日、「おい、がんの先輩、いろいろ教えてくれ」とメールが入りました。それから、がんの先輩としていろいろアドバイスをさせていただきました。
そんなことがあり、今年(2006年)の正月にふと、 「そうだ、ソフトボールに育ててもらった人生だから、ソフトボールに恩返しをしよう!」 と思い、藤原先生に「ソフトボールを愛し、一生懸命指導している人達に私たちに何か出来ることはないだろうか?」 と話を持ちかけました。
そんな、驚くべき状況とは…
私は日体大を卒業し、希望に胸を膨らませて就職先である一宮女子高校のグラウンドに立ちました。
その当時、愛知県には強豪校が多く全国大会までの道のりが遠い中、一宮女子高校は県でも上位に位置していました。「よし、今度は指導者で頑張るぞ」とやる気満々でした。
しかし、それも束の間、新人教員の私に、ある選手が「バットはどうやって持つんですか?」と聞いてきました。
「はあ〜、バットの持ち方?」
今度は違う選手が
「タッチプレーとフォースプレーはどう違うんですか?」
「え〜、ルール知らないの?」
なっなっなんなの、これは???
だって県大会で上位にいるでしょ?
なんで私はこんなところに来てしまったの?
この時知ったのですが、実は初心者の選手や初心者に近い選手がほとんどでした。
専門外の素人指導者ならではの自由な指導法
私学だし、県内でも強豪チームだからという、私の勝手な思い込みと、私自身の出身校である愛知淑徳高校も日本体育大学もエリート選手がゴロゴロいるチームだったから、技術の高い選手が集まっているものだとばかり思っていました。
現実は、入学後1年間は部活動に全員入部の生徒会の取り決めがあり、4月の部活動の登録に各部が競って部員集めをしている高校でした。
だから、初心者がいっぱい。中学校時代の部活動経験は、運動部ならまだしも、文化部で運動神経のかけらもない生徒まで入部してくる状態でした。
ソフトボール経験者といっても、弱い中学校のレギュラーか、強い中学校の補欠ばかりでした。
藤原先生の専門は体操・応援団で、ソフトボールの指導においてはもちろんズブの素人。
しかし、そこには素人の指導者だからこそ、初心者の気持ちがわかる指導、ソフトボール専門の指導者が思いつかない奇抜な指導法がありました。
それだけではありません。
学校教育の一環として捉えているから、目先の勝利より人間教育に重点を置いていました。
選手達の笑顔と藤原マジック
そして、絶対地区予選ですら勝てることは奇跡でもありえないと誰もが思うチームを連戦連勝でガンガン勝たせてしまう藤原マジック。
すると、
- ● 選手たちに自信がつき、イキイキしてくる!
- ● 何事にも自信を持って取り組むようになる!
- ● クラスの生徒たちにも良い影響が出てくる!
- ● 保護者が応援してくれる!
- ● 選手の一生の思い出ができる!
このような奇跡がミルミルうちに、たくさん起こっていきました。
全国大会を決める県予選、県予選に出るチームの選手層では常に分が悪い… そんな中、藤原マジックと監督・選手の努力の積み重ねに加速がつき、いよいよ全国大会出場、そして上位入賞。
その藤原先生が、今度は最高学府である大学チームの指導に当たることになりました。
自らの経験から生まれた藤原理論の確立
大学のグラウンドを訪ねると、またも不思議な練習法が目の前に。
そして、バッティングもピッチングもディフェンスも、自らの経験を元に、研究し悩み苦しみ確立した藤原理論がそこにありました。
私は「ソフトボールを愛し、一生懸命になって指導している人達に私たちでできる何かをしたい!」の言葉に確信を持ちました。
これが、当会発足の経緯です。


